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いろ歯にほへと

愛媛新聞に掲載記事のバックナンバー

平成14年7月 第1週

歯の俳句 食事の悲喜詠み込む

松山が生んだ俳聖、正岡子規。ご存知のように今年は生誕100年にあたり、様々なイベントが催されています。俳句に関する足跡や資料は道後の子規記念会館にて紹介されていますが、このたび今日の野球隆盛の基礎を作った功績によって野球殿堂入りしたことは愛媛県人にとっても嬉しい限りです。

野球にも熱中していた頃、子規さんの歯はどうだったでしょう?ホ-ムランをかっとばす力の源になるほど強い歯であったでしょうか。気になるところです。

ところで、「歯」という語句の出てくる俳句が、古くは江戸の時代にもあったようです。例えば江戸前期の俳人、松尾芭蕉。全国を行脚し吟句をまとめた「奥の細道」で有名ですね。

おとろえや歯にくいあてし海苔の砂

芭蕉さん、海沿いを行脚中お腹がグ-。ふと目にした海草をほおばってみたものの、むし歯の穴に砂やいろいろ入ってしまう。自慢の脚力も歯もおとろえたのか、ずいぶん疲労困憊の様子が目に浮かびます。

また、

木枯や頬はれいたむ人の顔

という句も詠んでいます。きっと同様の経験があったのでしょう。

俳人芭蕉は意外と短命で享年50歳でした。残された作品を見ると人生の゛わびさび,を達観した70歳以上の様に感じます。歯の健康が寿命に影響したと考えてもおかしくないような気がします。

また、「われときて遊べや親のないすずめ」を詠み、江戸後期に名をはせた小林一茶には 

かくれ家や歯のない声で福はうち

どうもこの句から想像するに一茶さん、ほとんど歯がなかったのではないでしょうか。おそらくは、支える歯ぐきが悪くなる歯周病で、かなりの歯を失っていったような感じです。「ホニハ-ホト」なんて息の抜けた声には鬼もずっこけたことでしょう。「調子くるうなあ」かえって気の毒になった鬼は退散したかも知れません。    

歯ぎしみの拍子ともなりきりぎりす

という句も詠んでいます。歯が抜け落ちて満足に食事もできず、胃腸の調子も悪くイライラとする毎日。その結果、きりぎりすの鳴き声のごとく歯ぎしりをしていたのでしょう。覇気を感じない毎日に生活の様子、沈んだ雰囲気、眉間にシワのよった一茶の顔がなんとなく頭に浮かんできませんか。

でもそれでいて「親のない雀たち、一緒にあそぼう。」と小さきものへ声をかける。一茶にこんな句が多いのは自己の投身だったのかも知れません。

逆に、丈夫な歯のおかげで味覚を楽しむ様子がわかる俳句もあります。

声かれて猿の歯白し峰の月 榎本箕角

白く冴えた月に向かってほえる猿の、同様に白い歯の美しさ、自分の歯もきっと白く健康であったに違いありません。

青梅や歯をうちならす貝の音 与謝蕪村

堅い青梅をカリカリとなんなくかみ砕く、貝のように固く強い歯。きっと季節季節の味覚を堪能できていたことでしょう。

花鳥風月を愛でる俳人にも現実の食事には喜悲こもごもあったようです。読者のみなさん、もちろん後者を望みますよね。

平成14年7月1日
愛媛新聞生活面掲載